★ 先日。
居酒屋の大将が「今バイクが欲しいんですよねー。」と話していた。
(最近遊んでくれる人がお店の 大将とかマスターしかいない)
「今欲しいもの、手に入れたほうがいいよ。やがて欲しくなくなるからね」と答えてみた。
この30代の若いオーナーも、やがて50、60になり、おそらくこの情熱は小さくなっていくことだろう。
子供のころのあれほど欲しいと思ったプラレールやリカちゃん人形がそうだったし、ブランド好きだって敬老会でまで自慢している人もみかけない。(たまにこじらせている人たち)
私だって毎日でも豪華な食事をと夢見ていたときがあったが、今はない。体力の減退だろうが、好奇心や興味がしぼんできてしまったと言い換えてもいい気がする。
確かにあのプラレールの時、あれを手に入れられるならば、毎日おうちのお手伝いします毎晩ひとりで練習に励みます関連する本を図書館で探しまくりますと、真剣に思っていたし、
そして今となっては、そんな強い情熱があったことなどすっかり記憶のかなたに飛んで行ってしまっている。いくぶんの寂しさを感じているのは事実である。
★ 起承転結
何か「欲しいものがある」ということは、とてもいいことです。
欲望と表現すると負のイメージを含みますが、好奇心やチャレンジと言いかえればポジティブなパワーを感じます。
物だけでなく、偉い人になりたい、プロ選手になりたい、世界中を旅してみたい、大きな舞台に立ってみたいなど、人の欲しいというものは無限にあります。
欲しいものややりたいことが目についたら、とりあえず手に入れる方法を考えることが人生の娯楽です。
トランプ大統領も宇宙にロケットを飛ばそうと思っているイーロンマスクも、結果がちょっとけた違いなだけで、思いの初めの一歩は、誰もと同じ小さな一歩でした。
★ 起承転結
この大将のバイクが欲しいという話でいうと、
小さな子供もいるこのパパが、いきなりクレジットカードを持っていって「明日買ってきちゃえばいいじゃん」という話 ではありません。
資金的ということはもちろんですが、その前段階として、奥様と会話する機会を作ってご機嫌や了解を得なければなりません。それに付随して子供の送り迎えとか洗濯物を取り込むなどの、現実の行動が付け加えられるかもしれません。
さらには、何に着てどこへ行こうかという楽しい夢想もするし、盗難や事故などのリスクに対する基礎知識など、頭の中も動き出してきます。いくつもの過程を乗り越えていきましょう。
★ 起承転結
これら云々、うまくいくことを願うばかりです。
もし結果として、バイクが手に入れられなかったとしても、そこまでの過程もが人生の楽しみです。
老後になってお茶を飲みながら「それでどうだったの?」「それがさあ~」と話せることがあるということ、それが楽しい人生です。
我が子にも「何でも見ておいで」といっています。私にそのようなことにおいての不完全燃焼の思いがあるのでしょう。
完全燃焼したところで、人生の満足度にそれほどの違いはないことも、わかる年になっています。それでもやはりせっかくならば見てきたほうがいいという気はするのです。
★ 起承転結
先のバイクの話でいうと、老婆心ながらの「くれぐれも大きな事故には気をつけてね」は大前提です。
旅する若者には、大ケガや不快な拘束など避ける「危険察知の本能と運」を持ち合わせているよう、ただただ老兵は祈るばかりです。
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前回の「人生とは地球に観光にやってきたもの」ということをもう一度、話してみました。