●我が子に勉強。
「やれ!」と言われれば「やだ!」。これは人間の基本形。
ここで「はい」と答えるとしたならば、怒られるからとか何かもらえるとか、わけがある。
じゃあ子供に勉強させようと思ったら、「やっちゃだめ」と言ったらどうかとも思うが、現実にはなかなかうまくいかない。こういう時に限って、子供は「うん」という素直な子。
●学校の教科書の前に。
かわいいわが子にまず手始めに、三つのAを見せてあげる。
アスリート、アーチスト、AKB(?)
公園に連れて行くと走り回る子もいるし、じっとしている子もいる。プールに連れて行くとはしゃぐ子とあんまり乗り気でない子。絵を描かせてみると楽しそうな子とすぐ飽きちゃう子。学校で作ってきた工作をひいき目なしに冷静に見つめてみる。ピアノの発表会、楽しみとストレスどちらが勝っていそうか、ディズニーランドはあまりにも完成されすぎていて誰もが楽しいのだが、も少し個性的なコンサートやAKB劇場に連れて行ってみる。芸能界の華やかさを感じるためにテレビ局の建物をいっしょに歩き回ってみる。すると、後日いつまでもその話が出てきたり全く出てこなかったり。
なんてところから、子供の”人生の出会い探し”を始めてあげるのです。
●そして何も出てこなかったら。
そしてなにかみつかればいいけど、なかなかね。そんなに気軽に見つかるもんでもないんだよ。舞台に立っている人は「夢を持ち続けろ」というけど、その前に自分にあった夢ってのに、出会うのが大変よ。
特段ひらめくものがなかったら、やはり勉強が一番つぶしがきく。
アスリートにしろアーチストにしろいずれどこかの集団に入って切磋琢磨していかなければならないのなら、勉強の集団の中で切磋琢磨するのもそのうちのひとつ。参加人数が他のどの集団よりずば抜けて大きいので、あとからの選択肢がとにかく多い。
これが、“学校で勉強をしなければならない理由”です。
●どうせなら、高いところまで。
そしてできることならば、この集団の中でも、やはり点数は多くとったほうがいい。なぜならば山に高く登れば登るほど、遠くまでの景色を見ることができるから。そしてたくさんの景色を見ることができるから。
お百姓さんが何かを栽培している、あの大きな建物をどうやって作ったのだろうか、あの奇抜な建物の中で何をやっているのだろうか、あの海の向こうに行ったらどんな景色が見えるんだろうか、違う国の人たちがみんなで楽しそうに踊ってる、あの動物は何食べて生きているんだろうか、それらが高く登るほど、数多く見えるのである。選択肢が増えるということです。そして、そこまで行く道筋も、見えたりするからです。
●それでも。
勉強をこなすというのもひとつの才能であり、人格や人間性は関係なく、あうあわないがある。白球を夢中になって追いかけた人、極貧の中で芸人の世界で努力をした人、あれほど好きで夢中になっていたのにあきらめる人はたくさんいる。タイミングという運もあるしね。やってみて勉強は自分にはあわないと思ったら、次の道を模索しましょう。それが今なのかもうちょっとやってみてからなのかはわかりませんけど。
とりあえず、
みんながんばれ。