5)患者さんとの会話で模索
よって患者さんにひと通りの講釈が終わった後、
「今日は一度おうちに帰って夜お風呂につかっているときにでも、『さっき歯医者でこんなこと言われたよなあ』と思い返してみてください」なんてお話しています。
そして、「やっぱ、気になるよなあ」とか、「まあちょっと様子見ようかな」「ああすっかり忘れてたわ」とかとか、落ち着いてゆっくり考えてからの、ファイナルアンサーをするようにしています。
痛みの閾値は、体調や気分でも変化します。
歯医者さんの診療台に座らされているときは精神的なものも加わって、治療中の閾値は下がっています。
一方、スポーツ選手が試合中にケガをしても試合に出続け、試合終了後大けがと判明というは、その時は閾値が上がっていたということになります。
6)実はこんなところが本題。
なかなか言いにくいことなのですが、どこかの高齢者施設で奮闘されている先生のエッセイに書いてあったお話です。
高齢で思うような治療も難しくなってきた患者さんたちで、総入れ歯でなんとか食事をされている患者さんと、ご自分の歯だが虫歯や歯周病で食事に不都合を感じている患者さん、両方の姿を見ることがあるそうです。
そんなとき、「もう少し若い時(といってもそれなりに高齢ですけど)に抜歯という診断もあったかな」と考えることがあるというのです。
7)まとめると、
日常の歯科治療でも、明らかな虫歯で「こりゃしょうがないですね」という場合ばかりでもないのです。
(「これは仕方がないですね」の例。「なぜここまで」と思われるでしょうが、歯は固いエナメル質で囲われていて内部の浸食はなかなかわかりにくいものがあります。この患者さんは痛みの閾値が高かったのでしょうが、まあそれがよかったのか悪かったのか・・・)
“なんとなく、しみる”という表現は患者さんの感覚でもあります。
その歯だけを見て決めるのではなく、
実際の歯を見た感じ、レントゲン映像、年齢、生活環境、感じ方の個人差、患者さんの深刻度wなどなど、
総合的な判断から治療方針を考えなければいけないと思っています。