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「お前、勉強だけしかできひんバカちゃうか」
これは、吉本芸人のコントの中での一言。
子供のころ、学校の中で“勉強のできない子”のことを馬鹿と習った。
今振り返ると、勉強できないことは悪いことと教えられたことになる。
昔「“がり勉”というネガティブな言葉があるとしたならば、“がりスポ”という言葉だって同じじゃないか」と誰か言っていた。しかしその時それでは、ピンとはこなかった。
学校という社会の中で勉強ができるということは、人間の能力のひとつにしか過ぎない。
子供たちが集まれば勉強以外で、体操教室で光り輝く子供もいるだろうしクラブ活動の部長さんに推薦される子もいるだろう。大人になって、プロ野球のグランドで活躍する人、料理の上手な人、町工場で作業の手順を即座にイメージできる能力を持つ人、そんな評価だってある。
馬鹿かそうではないのかとは、その限られた社会においてのみの判断基準である。
自分の能力を生かせるところで人生を送れたのならば「ついていましたね」であり、そうでなかったら「ついてませんでしたね」でしかない。
天狗になることは少しは戒めたほうがいいかもしれないが、天狗になれる場所に巡り合えている人がいたら、それは少しうらやましいことといえるのである。
この吉本芸人さんも、物事の神髄を見るという才とそれを表現する舞台にいるということが、たいへん幸運なのである。
コント見ながら、人生を深く感動をしていました。
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「使われなかった人生」
これは沢木耕太郎の本の題名からの言葉である。
沢木耕太郎は、ネットも携帯もない時代の元祖バックパッカー。写真を見ると昔から現在にいたるまで、ギラギラ感など全くない地味目なおじさんだが(失礼)、なんともいえないカッコよさがある。野茂やKingカズから発せられるパイオニアとして踏み込んでいった人間のオーラなのかもしれない。
この本は、映画の評論を根底としたエッセイ集である。
このエッセイの中でしばしば、「あの時にあの選択をしていたら別の人生があったかもしれない」という文面が出てくる。
誰もが、あの時結婚をしていれば会社を辞めていなければ、試験に受かっていれば病気になっていなければなんてことは、いくつか、思いあたるふしはある。
やがて時がたって、あちらの選択をしていたら今とはちがった街角に立っていただろうなぐらいの想像をするときはある。
しかし大人になれば、どの選択をしたとしても、思ったほどに高低差はなかったろうということも、わかってくるのである。
この想像を、「使われなかった人生」という言葉で表しているのである。
もしそれらに、いくらかの未練とか後悔という感情を含んでいるならば、「今とは違った人生」と表現されるのであろう。
様々なジャンルの映画、アクションヒーロー、ヒューマンドラマ、悲喜劇恋愛物語、どれもすべてに主人公が存在する。
そしてどんな自分物語だとしてもそれには優劣というものはなく、種類の違った喜怒哀楽が散りばめられているだけと、この本は言っていました(たぶん)。
「おれの使われなかった人生は・・・」と渋いバーでひとりつぶやくようになれば、私も沢木耕太郎になれるかもしれない。
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「あの頃わてはアホでした」
感動した言葉がアホ・バカばかりで品格が問われるのだが、これも東野圭吾の、本の題名。20年も前の本である。青春エッセイだったと思う。
誰にでも自分の過去を振り返って、なんであの時あんなことを言ったのだろうか、しまったのだろうか、していたのだろうか、ということがある。
今だったらあんなことは絶対に言わないししないよということは、誰にでもあるだろう。
人間の体は新陳代謝で7年も経つとすっかり新しい細胞に置き換わると言われている。
パソコン部品をひとつずつ丁寧に他のものと交換していって、初めの部品がなにひとつ残っていなかったとしても、日常では何事もなく同じものとして使われているのと同じことである。
果たしてあの時の自分と今の自分は、同じといっていいのだろうか。(とさりげなく、言い訳の文章を、先に挟み込む)
今の自分が過去の自分に、反省とかいう感情を持っているとしたのならば、「あの頃わてはアホでした」となるのである。
たまに同じ社会の中で話のかみ合わない人と出会う時がある。
人間社会とは、常に変体している浮遊物同士が、混ざり合って成立しているものである。
たまたま互いに、ある状態とある状態の時に出会ってしまったのである。
だからどうしようという話でもないのだが、時さえたてば、状況か自分か相手かはわからないが、何かが変化しています。
これを京都では、
「みぃ~んな、日にち薬が治してくれはりますぅ⤴」と言います。