カーナビで宅急便の営業所を探して、旅行バッグを家まで送ってもらう。これで帰りの電車は手ぶら。
お土産で買ったお菓子類は、壊れないよう、洗濯物のパンツや靴下で厳重に取り囲む。(微妙に評判が悪い)
レンタカーを返して、長距離バスで山形駅まで行く。
ユーチューブで、“ひとり旅”はたくさんでてくる。
よく見ているんだが、一日のグルメが多いのよ。私も「せっかく来たんだから」というムリが、もうきかない歳になってきている。食べ物と宿の映像、少な目でお願いしますね。
みんなでする旅行は、終わったときに、計画の無事完遂と楽しさの共有が残らないとだめ。イベントとか豪華とかわざわざとか、同行者との共通のキーワードが必要となってくる。
それに対してひとり旅は、なに特別なものを食べなくてもどこで寝ていたとしても、自分が楽しいと思えばそれだけのこと。
野茂とカズと中田英寿が我ら世代にとって揺るぎない勇者だというのは、何もわからないところに、最初に、ひとりで、降り立ったから。それに続く次の人とでは恐怖の大きさが違う。
私たちだって、行先もあいまいなままどこか遠い駅にひとり降り立てば、“初めてのお使い”くらいの冒険気分なら、味わえます。
写真と動画は別物で、写真の進化系が動画ではありません。
映画をはじめとする動画とは、自分の知らない世界へ連れていってくれるものです。わかりやすく言うとある映像から「この道の先に何があるんだろう」ということがあったとき、実際にはっきりと答えを見せてくれるのが動画であり、自分でうすぼんやりと物語を繰り広げていくのが写真です。この物語が新たなる旅の始まりです。
居酒屋探訪の太田和彦さんの本に、「酒場でひとりで何やってんですか」という問いに、「つぎ頼むもの、考えてる」というのがありました。
ただメニューを選んでいるという意味でなく、おかわりの酒だったら、日本酒の数々の銘柄を眺めながら酒のうん蓄から始まってかつてその酒と出会った場所を思い出しそれにまつわるエピソードも思い出す。目についたお品書きがあれば、その食材にまつわる季節や産地やそこに一緒に行った友を思い出している、という意味でです。
ひとり旅をしている間も、ずっと、何かを見ては何かを想って、楽しんでいます。
旅の最中に、若者たるがゆえに大したことが思い浮かばなかったとしても、心の引き出しに入れるものを収穫しに行くのもまた旅。
「歳をとるとなぜ涙もろくなるのか」という問いを、テレビでやっていた。答えは「生理的に制御機能が弱くなってくるから」
でもね、私としては、「大人になると、“何を見ても何かを思い出す”から」を、正解としたいのです。